物流会社といったら!丸和運輸機関ってどんな会社?

物流会社といったら!丸和運輸機関ってどんな会社?

丸和運輸機関の沿革

丸和運輸機関は、創業者であり現在も社長を務める和佐見勝氏が、1973年8月に一般区域貨物自動車運送事業を事業目的として、有限会社として設立した会社です。

その後、1978年10月には株式会社となり、1990年代に入ると一気に業容拡大がおこなわれていきます。1991年には埼玉県加須市に現在の加須流通センターを開設し、1993年には昭和通運や関西丸和サービスの株式を取得します。

日本全国へと拡大

さらに、1994年には北海道物流センターと名古屋営業所を開設、1997年には岩手県に盛岡物流センター、京都市に京都営業所、大阪府吹田市に大阪中央営業所を開設し、着々と営業網や配送網を日本全国へ拡大していきます。

そして2000年以降は、2000年に高知市に高知営業所、2005年には福岡市に子会社を設立、2008年には複数の運送会社を買収するなど業容拡大をおこないました。

丸和運輸機関の強み

日本全国の配送網

丸和運輸機関の強みは、日本全国に配送網や営業網を網羅しているため、日本全国のお客様から荷物を預かり、日本全国に荷物を配送することが可能な点にあります。

Amazonと提携

また、丸和運輸機関のもっとも大きな強みは、2017年にAmazonと提携し、Amazonが受注した商品の配送業務を請け負ったことにあります。ネットショッピングサイト運営企業としてはシェアナンバーワンの大企業と提携したことにより、今後の業績の拡大が期待されます。

軽貨物輸送以外の事業も展開

現在は軽貨物輸送だけでなく、低温食品輸送や医薬物流、コンテナ輸送など、あらゆる物流輸送業務を手掛けています。

代表の和佐見勝は一代で会社を大きくした

早々に起業を意識?

現在も代表取締役社長を務める創業者の和佐見勝氏は、農家で生まれ育ちました。そして幼少の頃、実母が結核に罹患して闘病生活をおくっており、病院に入院している母親を見舞うたびに「1日も早く働いて、しっかりとお金を稼げる人間になろう」と決心したと、本人が語っています。

19歳で起業!

和佐見社長は、その固い決心を抱き、中学校に入学すると同時に埼玉県吉川市にあった青果市場でアルバイトとして働き始めました。成人するまでに一人前になりたいと強い気持ちを持った和佐見勝氏は、青果市場の社長から商売のイロハを叩き込まれ、19歳のときに千葉県習志野市に自分自身の青果店を開業するに至ります。

トラック一台から始めた運送業

その2年後の21歳のときには東京にも店を持ち、さっそく商売において辣腕を発揮しました。ところが一転して転機が訪れます。和佐見勝氏が保証人となっていた人物が、自動車事故で死亡してしまったのです。和佐見勝氏は、亡くなった人物が抱えていた借金を返済するために、自分が経営していた青果店を失い、手元に残ったのはトラック1台となってしまいました。

そのときです。友人に誘われて、和佐見勝氏は運送業を始めることを決意したのです。当時の運送業は言葉遣いなどが荒っぽいことに着目した和佐見勝氏は、心をこめた接客や配送に力を入れ、次第に業容を拡大していったのでした。